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第1夜 社の少年1

パシャ...パシャ...

太陽の光がさんさんと降り注ぐ時刻に、水が跳ねる音がする。
ここは、川原。
けして大きくはないが、小さくもない、何の変哲もない川。
そこで、黙々と洗濯をする少女がいた。
先程の水の音も少女が服を洗っている音だろう。
少女は長い髪を一つに束ね、からくり人形のように尚も服を洗っていた。
ふと風が吹き、髪が舞い上がる。
それに一瞬気をとられた彼女は、そのまま髪を手で押さえた。
すると、彼女の手から一枚の服がするりと抜け下流へと流れいく。
「……。あ………」
けれど、慌てることもなくしばらくそれを見ていた少女だったが、次には服のすそや袖を捲りあげ始めた。
普通、年頃の少女はこんなことはしない。
ましてや、この少女のようにざぶざぶと川の中へと入っていくことなど絶対にしない。
そう、普通の少女ならば。
そして、今この目の前にいる少女は躊躇いもなくそれをやってのけた。

パシャ...パシャ...

今度はさっきとは違う水の音が聞こえる。
少女は、濡れるのも気にしないで服を追い、それを周りの者たちはこう思う。

「あれが、年頃の女子のすることかねぇ?」
「でもまぁ、活発なのはいいことだよ」

ひそひそ話しでもなくむしろ大きい方の声は、全く少女には聞こえていなかった。
そして、また周りにいる者たちも悪気があって言っているはないのだ。

「それにしても……ねぇ」
「あの子が次代、姫巫女に選ばれるなんて、驚きだよ」

そして、その次に紡ぎだされた言葉は感心に満ちていた。





*****




「ハァ…ハァ……」
さっき流されてしまった服を追って、川を走ってきたはいいが…。
それに追いつくことも出来ずに、つかずはなれずの状態で今に至る。
「しん、ど……」
もともと、運動は得意じゃない。いや、体力がいるものが苦手だ。
それなのに、追いかけたりしてもすくえるはずがないのに。
大分下りてきたから、ここがどこかも分からない。完全なる迷子…では、ないか。また川沿いを上って行けばいい。
いいや、それよりも今この状況をどうするか、が大事なのだ。
このまま追いかけていても埒があかない。
あぁ、喉が渇いた。いっそ川の水を飲んでしまおうか?
様々な案を頭に巡らせ始めたころ、木と木の間から人影が見えた。
一瞬、ほんの一瞬だったがその影の正体を突き止めた私は、それを呼び止める。
「ツカサっ」
いつもより大きめの声を出した。それでも、もともと小さい声がほんの少し、普通に近づいただけだが。
それでも、影…ツカサはその声を聞き取り、さっきの木の間からひょっこりと姿を現した。
短めの黒髪に少し高めの身長、そして私と同じ顔。そんなツカサに荒れた息が混ざった言葉を言う。
「ツカサ!!あれ、取ってっ」
一瞬首をかしげた彼だったけれど、私の指差す方を見て納得したのか小走りで川に近寄る。
そして、簡単にひょいと掴むと私のほうに近寄ってきた。

「また、服を流したの?本当にユイはどじだね」
嫌味のようでいてそうじゃないこの言葉を何回言われたことか。自分自身も覚えていない。
目の前に立つこの少年の名は、ツカサ。私の双子の弟だ。
弟なのに、何でもこなして要領がいいこのツカサをいつも頼ってしまう。姉のはずなのに、まるで私が妹だ。
この状況もまさにいつもの通り。そんなことに苛立ちを覚えながらもツカサから服を受け取ることを忘れない。

「この光景も今日で見納めだね……」

いきなり呟いたツカサに目を向ける。 ツカサがあまりにも寂しげに言うものだから、こっちも寂しくなってきてしまった。
胸がじーんとなって虚無感が押し寄せる。
ツカサは私のたった一人の家族だから、だろうか?
「何しんみりしてるの。別に会えなくなるわけじゃないんだから」
そっちから言ったくせに。
「ツカサが悪い」
ツカサがこんな気分にさせるから、巫女姫になりたくなくなるじゃないか。もともと、巫女姫だって望んで選ばれたわけじゃないのに。やっと、やっと決心がついたのに、ツカサはどうして揺さぶるのだろう。
「そんなの決まってる。ユイを巫女姫なんかにしたくないからだよ」
優しく、無邪気に笑いながらツカサは言う。
「勝手だ…」
まるで私を守ってくれるように、言動が、行動が私を包み込む。
全部分かってるかのように逃げ道をつくってくれる。
だから、悲しくなってしまうんだ。寂しくなってしまう。私は、弱いから。
「そうだね…勝手だ」
ほら、今もこうやって私を抱きしめてくれるんだ。私が泣きたいのを知ってるかのように。

巫女姫になれば自由なことなど殆ど出来なくなる。 それは、ツカサにもなかなか会えなくなるということで……。悲しかった。 悲しくて胸が千切れそうで、苦しい。 涙で潤んだ目でツカサを見上げる。 涙でかすんで見えないけれど、私より背が高い。昔は、私のほうが大きかったのに。 「ツカサ……」 「…なぁに?」 「……いっぱい、いっぱい、話して」 ツカサの声、言葉、吐息、会わないうちに忘れたくない。 たくさん、たくさん聞いて、忘れないように。 「……うん」 やっぱり優しい声が私を包んでくれる。 こうやって抱きしめられると安心できるのは、もともと一つだったからだよね。 ずっと、ずっと、一緒にいたいよ……ツカサ。 ***** 「そろそろ、おばば様のところ、行かないと……」 先にその言葉を発したのはツカサのほうだった。 気がつけば、もう陽が暮れかけている。 「そっか、もうそんな時間か」 ぼうっと川を見つめる。 「……ユイ…っ」 ぎゅうっとツカサが私を抱きしめる。強くて少し痛いかな。それだけ、ツカサも痛いんだね……。 「ツカサ……」 小さくツカサの胸を押す。 ほんの僅かな力だったけれど、あっさりとツカサは離れた。 「ツカサ……バイバイ…」 涙が零れそうだ。こんな私をツカサはどう見ているのだろう。 「会えなくなるわけじゃない、でしょ?」 さっきツカサが言った言葉を繰り返す。自分にも言い聞かせながら。 「…………。」 ツカサは何も言わずに俯いた。こういう時は自分の方が姉なんだな……そう実感する。 ゆっくりと笑いかけると我慢しきれなくなって涙が零れた。 本当は知っていたんだ、私も、ツカサも。もう二度と会うことなんてないのだと。 「ありがと、ツカサ。またね」 本当は‘また’なんてないけれど、つい口から滑り出した言葉。 私はツカサに背を向けると、川のそばを歩いていく。今日の夕暮れはいつもより物悲しかった。

   

 

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